檀 一雄
(だん かずお)1912年(明治45年)2月3日 - 1976年(昭和51年)1月2日、享年63。山梨県出身。小説家、作詞家。
少年期に母が若い学生と出奔、その傷心が文学への原点となる。東京帝国大学経済学部在学中の処女作が認められ、佐藤春夫に師事。太宰治と交遊を深め、「日本浪曼派」に加わる。
1936年、「夕張胡亭塾景観」が第2回芥川賞候補となる。「文藝春秋」に出世作「花筐」を発表。1937年、日中戦争の勃発により召集を受け久留米独立山砲兵第3連隊に入隊。その後、従軍と中国放浪の約十年間を沈黙。1950年、『リツ子・その愛』『リツ子・その死』を上梓して文壇復帰。1951年、『真説石川五右衛門』で第24回直木賞受賞。死の前年まで二十年にわたって書き継がれた『火宅の人』により、没後、第27回読売文学賞と第8回日本文学大賞の両賞受賞する。私小説や歴史小説を得意とし、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。