石坂洋次郎
(いしざか ようじろう)1900~1986年、享年86。青森県出身。慶應義塾大学国文科卒。小説家。
大学卒業後、郷里の青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)に勤務。のち秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学校)から秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)に転任。通算13年間の教員生活を勤め、かたわら創作に専念する。処女作『海をみに行く』(1927年)以後「三田文学」を主な発表舞台としたが、1933年の『若い人』によって作家的地位を確立する。しかし、右翼団体の圧力をうけ、教員を辞職。戦時中は陸軍報道班員として、フィリピンに派遣された。戦後は『青い山脈』を「朝日新聞」に連載(1947年)し、同作は映画化され大ブームとなり、「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となる。数多くの映画化、ドラマ化作品がある。1966年、「健全な常識に立ち明快な作品を書きつづけた功績」が評価されて第14回菊池寛賞を受賞。代表作に『麦死なず』『陽のあたる坂道』『石中先生行状記』『光る海』『あいつと私』などがある。