丹羽文雄
(にわ ふみお)1904年(明治37年)11月22日 - 2005年(平成17年)4月20日)享年100。三重県出身。
1929年に早稲田大学文学部国文科を卒業後、生家である浄土真宗専修寺高田派の崇顕寺で僧職に就く。同人誌『新正統派』に発表した小説「朗かなある最初」が永井龍男によって評価され、その依頼で書いた「鮎」が文壇で注目され、僧職を捨てて上京。新進作家として注目された。戦時中は海軍の報道班員として重巡洋艦「鳥海」に乗り組み、第一次ソロモン海戦に従軍、その見聞を小説「海戦」にまとめた。戦後は東京・銀座などを舞台とした風俗小説が人気を博し、一躍流行作家となる。文壇の大御所的存在で、後進との交流にも熱心で、1950年代には同人誌『文学者』を主宰、瀬戸内寂聴や吉村昭、津村節子たちを育成した。1977年に文化勲章受章、文化功労者。代表作「蛇と鳩」「一路」「顔」など。