宇野 浩二
(うの こうじ)1891~1961年、享年70。福岡県出身。早稲田大学英文科中退。小説家。本名・宇野格次郎。日本芸術院会員。
3歳で父を失い、母とともに神戸を経て大阪宗右衛門町の伯父のもとへ居を移す。府立天王寺中学校時代より文学を志し、交友会誌にもたびたび投稿した。1912年大阪で発行の「短檠」創刊号に『清二郎の記憶』を発表。1919年、早稲田大学の1年上級だった広津和郎の助力で文壇的処女作『蔵の中』、新進作家としての位置を確立した『苦の世界』を発表し文壇デビューを果たす。1927年頃、精神を病むが、1933年『枯木のある風景』で復帰。戦後は松川裁判の不当に広津と共に抗議、批判。また、文芸評論にもひたむきな態度で取り組み、「文学の鬼」と呼称された。1951年、『思ひ川』で第2回読売文学賞受賞。 ロマンティシズムの作家として出発してから、1961年、遺稿『人間同志』まで、ほぼ50年間の文学活動において彼の発表した小説、随筆、評論、評伝の数は作品数503篇、童話130篇にのぼる。