結城昌治
(ゆうき しょうじ)本名:田村幸雄。1927年(昭和2年)2月5日 - 1996年(平成8年)1月24日、享年68。東京都出身。
早稲田専門学校法律科卒業後。1948年、東京地方検察庁に事務官として就職も、1年足らずで肺結核となり、国立東京療養所に入院し、1951年まで療養生活を送る。この入院期間中に知りあった福永武彦に薦められて推理小説を読み始めた。1959年『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』日本版の第1回短篇コンテストに応募した「寒中水泳」が入選し、7月、同誌に掲載される。12月に処女作品集『ひげのある男たち』を早川書房から上梓。1960年、東京地方検察庁を退職して作家専業となり、推理小説を発表する。1962年に早川書房の日本ミステリ・シリーズで、南ベトナムを舞台にしたスパイ小説『ゴメスの名はゴメス』を書き下し、直木賞候補となる。『死者におくる花束はない』『暗い落日』などのハードボイルド、『夜の終る時』などの警察小説、『白昼堂々』などのクライム・コメディなどを執筆する。『白昼堂々』では1966年に再度直木賞候補。日本推理作家協会設立当初は常任理事を務めた。まだ日本にハードボイルド小説というものが浸透していなかった時期にハードボイルドを書いたことから「ハードボイルド小説の先駆者」といわれる。1970年、軍部の裏面を描いた『軍旗はためく下に』で第63回直木賞を受賞。また時代小説『始末屋卯三郎暗闇草紙』、評伝『志ん生一代』などもあり、俳句も作り句集がある。